障害と諦め。

障害者の人生について考えていきたいと思います。

 

初めに申し上げておきたいのが、僕自身が「双極性障害」という障害の当事者ですが、かといって障害の全てを知るわけではありません。網羅的にはどうしてもなりません。

「自分の障害について理解してもらえないなぁ」と思うことは多いのですが、例を挙げれば発達障害統合失調症ADHDなどについては僕もよくわかりません。文字からだけでは想像がつかない。なので障害全般に通用する話にはならないと思います。おかしいと思われたら、ご指摘のほどをお願いします。

 

障害とは、文字通り自分の人生を生きるにあたり障害がある状態のことをいうと思います。障害があるというのは換言すると、「できないことがある」ということだと思います。

歩けなくて車いす生活をしている人にとっては、例えば普通にスポーツはできません。車いすが動きにくい場所に入ることは、援助なしでは難しいことも多いでしょう(バリアフリーじゃないとか、そもそも砂浜が深いとか)

そういった「できないこと」に対して、「諦める」ということが必要になるのが障害者の人生の一面なのだと思います。

ここまで、当たり前のことを言ったように見えますが、多分普通に生きてると、「なんかアレできなくて可哀そう。いや可哀そうとか言っちゃダメか。とにかくできる分は手助けできるようにしよう」ぐらいのことしか思わないはずで、その裏側にある数々の「諦め」という能動的行為が生まれるときに人はどう思うのか、その積み重ねでどうその人が形作られたかに思いを馳せる人はそういないと思います。少なくとも僕は自分が障害になって初めてその意味を知りました。

もちろん、この「できないこと」を減らしていくのがバリアフリーという概念なわけであり、障害者スポーツがさかんになり都市のバリアフリー化などが進み、諦める機会を少しずつ減らしています。こういうものは少しずつしか減らないので、とくに行政やらに文句を言うつもりはないです。

 

さて、話を一般論から僕個人に寄せてきます。
僕はいったい何ができなくて、何を諦めるのか。
2018年の11月ごろに、僕はいわゆる普通の会社員として雇われた3社目の会社を退職しました。その時、いろいろと諦めることを決意しました。バイトも含めると、6年で5つの仕事を転々としていたような状況です。そのすべてが「鬱からくるだるさで出勤できないため」だったため、さすがに方向性を変える必要があると感じました。

 

できないこと(何回も書いてる気がする)
・とにかく鬱期はだるくて出社すらできない。できてもめっちゃ眠い。
・躁期は気分が安定せずイライラして当たり散らす。

諦めること
①通常の会社員としての就労(週5日来ないとクビだよ的な)
②社会人並みの生活
③良好な人間関係(特に深くなる恋愛・結婚)

 

①通常の会社員としての就労(週5日来ないとクビだよ的な)

多くの双極性障害の書籍には、「寛解すれば働ける」と書いてありますが、あまりそうは思えません。正直その未来が見えないです。程度にもよるとか色々あると思いますが。あともう信頼を裏切りたくないです。それが怖くてもう無理です。実際これだけやって無理なのだから、諦めるほうが無難な判断だと思います。「100%無理だとわかった」というよりは「心が折れた」に近いです。でも自分の心が弱かったとは1ミリも思いません。

 

②収入悪化に伴う社会人並みの生活

これも①により諦めざるを得ませんね。買いたいものも変えず、趣味に使うお金も徐々に減らしていき、とにかく引きこもります。一人暮らしも解消して家賃も減り、徐々にこっちに向かっています。

 

③良好な人間関係(特に深くなる恋愛・結婚)

LaVoceボドゲ界隈の方なんかはかなり察して接してくれていますが、基本的にはいつ関係が切れてもおかしくないと認識して生きています。そう思ってないと気が狂う。最大限の努力はしていますが。躁の症状も鬱の症状も、友達として付き合うには迷惑です。
ましてや恋人や結婚などといったことは尚のこと厳しい。そもそも①で仕事を諦めた以上、僕は誰を養うこともできない。誰かに養ってもらうほど、僕は魅力的ではない。だから諦める。別にいいと思っています。

 

友人が仮に付き合ってくれたとしても、かなりの引きこもり生活を余儀なくされます。でも、少なくとも今の病状の僕はここまで諦めないとしょうがないと思います。ここが障害の実態からして妥当な諦めラインです。

 

ここから病状が多分低め安定くらいに安定させられて、細々働きつつ何とか毎日の生活はできる程度が最終ラインなのかもしれませんが、何はともあれ今現在はここまで落とす必要があります。

ラインが仮に上がってどう感じるのかはさておき。

 

ところで諦めに至る時、諦めた先の生活の受け入れがたさと、今までできたことや目標を捨てる未練があると思う。

僕の場合、自分の能力について、ある程度高くないというか使いにくいということが経験上わかったのと、最後の会社を辞めた時の絶望感があまりに酷かったことが重なって、「もう諦めてもいいかな」と思った。そういう意味ではギリギリいろんな経験ができたということかもしれない。発症がもう少し早かったら、もっと厳しかった。自分の可能性が無限に近づいてしまうから。

 

 

ところで、諦めたその人生、生きてる意味あるの?って思う。

 

まぁ、ないと思う。

 

死が怖いから生きてる以外の何者でもない。

ぼくとコミュ障

コミュ障ですどうも。

コミュ障ってなにが原因なんだろうね?といつもなら考えるところですが考えません。いや考えますが、テキトーに考えます。いろんなタイプのコミュ障を分類・分解とかしません。今僕は猛烈に疲れてるからです。

だからタイトルは「ぼくと」コミュ障。僕にとってのコミュ障を考えていきます。

 

僕は話すのは好きです。仲のいい友達といると沢山喋ってます。ある程度の仲でもそこそこ喋ります。初対面が沢山いると廃棄物になります。必要にかられてスイッチ入れて喋る時もありますが、まぁあまり上手くはいきません。

この感じからすると、「会話自体が死ぬほど苦手」というわけではなさそうだと考えられます。会話の回し方、話題の出し方、ボケ方、ツッコミ方などが全くわからないという話ではないのです。

 

それでは、僕が初対面、あるいは関係の浅い人と話せない理由はなんなんでしょう。

 

考えたところ、理由は2つあります。2つあるというか、この2つの織りなすハーモニーが僕を廃棄物にしてます。

 

①相手が何を考えてるか、まるでわからない。

②人からのネガティブ反応を受けるのがとにかく嫌。

 

これです。この2つなんです。1つずつ見てみましょう。

 

①相手が何を考えてるか、まるでわからない。

わからないんです。いつかつぶやきましたが、逆にこれがわかる人は「想像力がある」か「"自分ならこう考えるから、相手もこう考えてるはず"が当たる」人で、知らないけど多分後者が多いんだろうと思っています。自分の感覚が一般的な感覚に近いんです。

僕、素で話してると結構「お前何言ってんだ?」みたいなこと言われるんですよね。そういう展開結構あるんですよね。

多分、なんていうか、カッコ悪い感じでズレてるんですよね。こう、「天才すぎて意味わかんないこと言ってる〜」とかじゃなくて、単純に「意味わかんない。キモい」。

 

もうだからそれが怖くて話すの怖いってのもあるし、相手が引っかかりそうな話題とかも見えて来ない(付き合いが長いとさすがにわかるが、食事1回分の会話からとかは探せない)から、会話の仕方もわからない。もう何もわからない僕は。ダメだ。僕はもうダメだ。

逆に趣味がわかってればこの負担軽いですよね。ボードゲーム好きならそこ狙っといたら外さないし、そこから離れる必要ないし。

そう考えるとまぁまぁ普通じゃん、てところに2番目の理由が来て、君と3度のハーモニー。短3度。

 

②人からのネガティブ反応を受けるのがとにかく嫌。

具体的に言うと、「居酒屋の予約を断られるのすら嫌」なんです。いや別にいいじゃんと。思うでしょ?俺も思う。でも嫌。

なんでかなと考えるんですが、やっぱりこれは僕の中では「いじめ回避の処世術」の副産物なんですよね。

①で言ったように僕はどこか悪い感じでズレてるので、「オマエ、オカシイ」的ネガティブリアクションをものすごく警戒して生きてきたんです多分。それを全力で避けながら生きてきた。だからそもそもそれに対する嫌悪感がものすごい。そして避けているわけだから当然、耐性がつかない。

こうなると、何考えてるかわからない初対面に対するリスクがものすごく高いんですね。こうして廃棄物になるんです僕は。

 

ところで電話ってものがものすごく苦手でして、やっぱりこれも「顔が見えない不安→何言われるかわかったもんじゃない」となり、リスクが高い行為になってしまうんですね。だから僕はものすごい電話嫌いなんです。

しかもめんどくさい系の電話(最近だと引越し業者への電話)なんかは、めんどくさい増幅器鬱病相も相まってもう無理です。しません。しましたが。偉いなぁ俺。

 

書いてみると「そうなんだ」って思いますね。でもこれ多分直らないと思うし、自分的にももういいかって感じがすごいあります。今からナンパしに出かけるわけでもないしね。

 

そんな、ぼくとコミュ障ハーモニーの話でした。

違う、あなたはバカじゃない。

1社目の会社にいた時、僕は結構な期間を躁エピソードで過ごしたので、色々怒ったりしていました。

それで、退社の時のメッセージカードか何かに、僕との思い出について、「自分自身のことをバカだと自虐した同期を怒ったこと」を挙げていた方がいました。

なるほど確かに怒った記憶があります。

その時僕は本当にこの人はバカじゃないと思っていたし、その人はその人で本当に自分をバカだと思っていました。

その齟齬について、ちょっと考えてみました。

 

※なお、僕に人がバカかどうかの判定力があるか、それを判定する権利があるかという話なんですが。

難しいところで、学歴上やはり頭が良いという扱いを受けるわけで、いくら謙遜しても受けるわけで、それはもういっそ頭が良いとして振る舞った方が楽だということで、この発言に至っているいるところがありました。あと躁。

それでも僕の中に頭の良い悪いの定義があって、それを一個人として披露すること自体が悪いこととは思いません。少なくとも今の僕はこれで誰にマウントを取りたいわけではないし、むしろバカじゃない人にバカじゃないと思うよと伝えたいだけなので。

 

話を戻すと、バカではないのに自分をバカだと思う人が生まれてしまうことを問題視する話です。

そういう人は多くの場合、情報を取り入れる能力の不足を気にしています。頭の良し悪しではなく「情報を取り入れる能力」のみでバカ判定をしています。

もっと言えば、それは「記憶力」であることが多いです。これがないと、会話の中に出てくる難しい言葉がわからないし、自分から出せないし、何より試験に弱い。これをもって自分をバカだと見なす、あるいは他人に見なされるということが起きます。

 

しかし、バカかどうかはもっと別のところにあると思います。情報は時間をかければある程度は取り入れることができるはずです。少なくとも業務に支障のない程度には。

そして情報をたくさん取り入れたぐらいでは、大したことは言えないのです。

僕が見た数少ない映画の中に「グッドウィルハンティング」という作品があるのですが、その序盤のシーンで、主人公のマットデイモンとロン毛の学歴お兄さんが言い合いになります。

政治論について、多彩な本を引用して持論を披露する学歴お兄さんと、その引用元を全て当て、「暗記の披露大会はやめろ」とかなんとか言い放つマットデイモン。

 

うまく言えないんですが、いやここうまく言えると思って書き始めたんですが、悔しいんですが、答えは自分で探そうねということです。

知識で人を圧倒しようとするほどダサいもんはないよということを言ってるような気がします。僕はとりあえずそう取りました。でも単に天才マットデイモンカッコいいなシーンだっただけかもしれないですが。

 

とりあえずマットデイモンを信頼するとして、暗記の中に答えはないということです。暗記を材料に答えを探す必要があります。

その能力が、バカかバカじゃないかを分けるに相応しいと僕は思います。

 

答えを探す力ですが、具体的に何か。

 

答えを探す根性だと思います。

 

うわーバカっぽい。でもこの表現が適切な気がします。

根性とは何を言っているかといえば、バイアスに負けない力です。

バイアスとは認識の偏りのことであって、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」みたいな話だと思います。

 

これに負けない力。

 

袈裟まで憎い坊主が珍しく口にした真理、嫌いな上司が言うけど正しいこと、別れた恋人の言った否定しきれないこと、受け入れがたい病気の現実。

 

これはバイアスが極端にかかる場合ですが、こう言う時に真実を見つめようとする力が大切なのかなぁと重いますが、意識してもなかなか手に入らないものですね。

 

ちなみにこのように心理的にバイアスがかかる場合もありますが、情報が少ないことからバイアスがかかってしまう場合があります。

個人的には「知らないことは、言わない」と考えて生きていますが、どうするのが正しいんですかね。僕自身情報を取り入れるのはあまり上手くない方なので、とにかく情報を入れると言う解決策は取れないのです。

 

ということでした。

 

冒頭の同期ですが、会社の全社超忘年会みたいなデカいやつで同期の出し物をするときに、ダンスを教えてくれたんです。

ものっっすごい教えるのが上手くて、好みとかじゃなくて純粋に客席から見てこの動きはどう見える、何が綺麗、とか教えてくれて、僕にはとてもバカには見えなかったんですね。

音楽をかじったといえばかじったのでなんとなく、なんとなくだけわかるんですが、エンターテイメントってすごく答えの追求なんです。何が、なぜ美しく見えるのか。心地よいのか。そういうのを、例えば嫉妬するパフォーマーなんかからも一生懸命拾ってきたりしないとできない。「会社の出し物なんて、観客はどうせ見る目がない」なんて逃げない彼を、僕はバカと呼べなかったんです。

ボードゲーム分類事始

報告がまだでしたが、会社は年末に辞めざるを得なくなりました。 ここ5年で6度目くらいの作戦フェイズです。もうやだ。

だから昼間にブログ書いてるんですよ。

 

そんなことは置いておいて、ボードゲームを「要求される能力」別に分類してみます。最初に予防線を引きますが、「事始」と書いた通りとりあえず着手したところで、完璧に自信のあるものができたわけではないです。ご了承ください。

分類するボドゲですが、プレイ時間が1時間~のボドゲを対象とします。軽ゲーはいろんな種類があって、楽しませ方も多種多様なので。またの機会に。

さて、ボドゲというものは基本的には頭を使って行うものです。ということは、先日の「頭の良さ論」が引用できてしかるべき、ということになります。むしろこの話につなげるために書いたんじゃないかって?...いや...そんなこと...ないよ...?

先日のブログに戻って読まなくてもよいのですが、あちらでは頭の良い要件を5つに分解していました。

①記憶
②情報処理
③論理
④本質理解
⑤発想

これをちょっと変えて、

①記憶→何かを覚えておく(相手の行動とか)
②情報処理→盤面カードの情報から、重要なものを抜き出す。
③論理→自分の行動を組み立てる。盤面の進みを計算する。
④判断→リスクリターンを考慮し、行動を決定する。
⑤発想→情報処理の結果から、最適手を見つける(特に意外性のある手の場合)
⑥読心術→相手の思惑を読む。

なんでちょっと変えたんだお前。という話ですが、「頭がいい」の話と「ボドゲの能力」の話は全然大きさが違って、もっと小さく切らないと意味のある話にならないからです。

 

で、ボドゲはこの6つの要素の組み合わせのバランスによって特徴を出しており、「好き(得意)なゲーム」「嫌い(苦手)なゲーム」はこのバランスによって決まる、ということを唱えようとしています。

具体的なゲームをいくつか挙げながら説明していきます。

 

カタン
①記憶→相手手札の大まかな記憶。
②情報処理→主に初期配置時、家や町の建設時。盤面の条件をしっかり理解し、最適な場所に拠点を築く。
③論理→自分の開拓の手順計算。どうやったら15点(だっけ?)に届くかとか。
④判断→敵の動向リスクや開拓地のリスクリターンを判断して、行動を決める。
⑤発想力→はあまりいらないかな?意外な手を打つ必要もなさそうなので。
⑥読心術→相手の開拓志向、ペース、伏せられた発展カードの予想など。

と、ほぼ全部の能力をバランスよく必要としていて、かつダイスが全部ぶっ壊すので、それぞれの能力の必要値が低くて済む。
カタンが好き」という初心者に、「カタンのどこが好きか?」という質問をしたとき(全然したことないけど)、結構バラバラな答えが返ってくるんじゃないかなぁ。100%予想なんですけど。あるいは「どこだか具体的に言えない」とか。いい意味で特徴がないのが、このゲームの人気の要因ではないでしょうか。

同じくロングセラー作品となるカルカソンヌや宝石の煌きあたりも、これと同じ構造に属するような気がしています(しっかり考えてないけど)。

 

アグリコラ

まずワーカープレイスメントの話なんですけど、このシステムの本質は、

・限られたワーカーの中で、自分の手順を組み立てなければならない。
・かつ、敵にとられるアクションスペースを予測して組み立てなければならない。

ことだと思うんです。そうなると、当然③論理⑥読心術という風になるんですが、カードナシを想定すると、⑥読心術の割合がかなり低いと思います。相手のとる手にあまり揺らぎがなく、隠している情報もないので、読むというよりは計算するに近いところです。③論理の大活躍ですね。このゲームをカードなしでやると、

①記憶→多分いらない。
②情報処理→盤面を見てどの要素が重要か考える。ワーカー絶対先に増やさなきゃ、とか。
③論理→ワーカープレイスメントの全て。
④判断→そんなにいらない。
⑤発想力→多分発想で乗り越える抜け道がない。
⑥読心術→ちょっと要る。

みたいなことになるんです。かなりの論理ゲームになるはずです。これにカードをプラスすると、

①記憶→いらないまま。ドラフトするならちょっと要るといってもいいかも。
②情報処理→カードの分が増える。
③論理→少し弱まる。アクションの価値が非対称になるため。
④判断→アクション価値が非対称になり読みづらくなるため、リスクの観点を処理する必要が出てくる(思ったより早く漁が埋まるとかなんかそんな)
⑤発想力→コンボが生まれる。
⑥読心術→相手が自分と違うことをする可能性があるので、少し必要性が上がる。

というようになり、全体にバランスが取れたゲームになるはずです。
こうなると「初めての人に出すならカード付」となりそうなもんですが、②情報処理のハードルが高いので、訳も分からず負ける可能性も結構高いですと。難しいゲームですね。でもバランスが取れているゲームだと思います。
が、「②情報処理&③論理型」に属するゲームだとは思います。

 

 

コインブラ

突然の最近のゲーム。コインブラ

①記憶→いらない。
②情報処理→最初とカードが出たときに必要。めっちゃ必要。
③論理→資源制約のために必要なのが主か。
④判断→追い出し競りのリスク考慮が必要。
⑤発想→じっくり手を作れるわけではないのであまり...?盤面に見えるものがそのラウンドの可能性の全てなので。
⑥読心術→けっこう要る。なんせ追い出し競りなので。

記憶は放っておいて、バランスの取れたゲームです。が、僕は苦手です。笑
情報処理の比率が高く、このタイプは苦手なのです。ワーカープレイスメントといえなくもないシステムで、そこに読み合い要素を付加するための追い出し競りだと思っています。そして②情報処理を増やして充実のゲーム!ということで人気があるのですがどうもできなくて。なにせ最初に②情報処理を間違えると即ゲームに負けてしまうので...。
近年のワーカープレイスメント系っぽい作品かなと思います。このカテゴリに入る作品は多いと思います。よくイタリアから出てきてる気がします。

 

★モダンアート

それだけで一本記事を書くほど大好きなモダンアート。なのになぜみんなやってくれないのか。それを追求するためにこの記事を書いています。

④判断
⑥読心術

このゲームほとんどこれしかいらないんですよ...。盤面にも手札にも大して情報落ちてないし。論理っていっても自分の番回ってきたら状況違うし。記憶はちょっと要るか。

このゲームについてはちょっと前の記事を見ていただくとして、

モダンアート攻略論 - めんへらペンギンぶろぐ

これだけ偏っていると敬遠する人がいるのは全くもって仕方ないことだと思うんですよね。でもこれが大好きな人もいるのも仕方ない。かなり有名なゲームの割には、かなりとがってる。近年のワーカープレイスメントなんかが好きな人にとっては、ゲームは情報処理から入るのが普通だろうからそれがないのがきついんだろうなと思います。

 

★ラー

モダンアート・ラー・メディチと並べて語られることが多いですが、これらのゲームは構造が一緒なわけではないです。

①記憶→ガチでやるなら必要かも。
②情報処理→得点要件に照らして、目の前のタイルと太陽駒の価値を考える。
③論理→使わないかなぁ。
④判断→とるタイル自体のリスクリターンも、先に行くかしゃがむかのリスクリターンもある。
⑤発想→使わないかなぁ。
⑥読心術→相手は取りに来るか等。

 

まず、見えてる情報が多いんです。固定の得点条件とラウンド終了までのリミットと。なので何をすればいいかがわかりやすい。
モダンアートの場合は手元のカードのリスクリターンはすべて脳みその中。なのでわからないと死ぬほどわからない。全てが④判断という能力に委ねられている。その点を緩和していますね。

判断材料が増えて判断の負担が軽くなっているので、モダンアートほどのとがった偏りがない。これがモダンアートと比較して「誰にでも出しやすい」という印象の正体だと思います。

 

★テラミスティカ

①記憶→いらない...はず。
②情報処理→すごい必要。
③論理→すごい必要。
④判断→すごい必要。
⑤発想→ちょっと必要。
⑥読心術→けっこう必要。

やばい。フードチェーンマグネイトとかもだけど、ガチゲーマーたちが繰り返し遊んでいるゲームは基本的にほぼすべての能力を高次に必要とするゲームだと思います。

 

パンデミック

①記憶→いらない...はず。
②情報処理→盤面と手札をしっかり理解する。
③論理→手順を考える。
④判断→降ってくる病原菌リスクとの闘い。
⑤発想→割と必要。頭から抜け落ちてる策がありがち。
⑥読心術→いらない。

このゲーム、協力ゲームですがバランスがいいんです。
協力がやだってんじゃなければ、あまり嫌いな人いないんじゃないかなぁ。
個々の必要とする能力自体はそんなに高くないので、物足りない人は物足りないかもだけれど。そういう人はテラミスティカしてましょう。

 

★キーフラワー

①記憶→できたら強い。
②情報処理→タイルの強さ見極めはかなり必要だし、相手の盤面も見なくちゃいけなくて、情報量はかなり多い。
③論理→計画はしっかり立てていないといけない。
④判断→必要だけれど、もはやどうしようもないこともある。
⑤発想→けっこう必要。相手が予想していないワーカーを予想していないところに出す必要がありそう。
⑥読心術→かなり必要。相手が何してくるかわかりづらいので。

難しい...。これもヘビーゲーマーに人気系ですよね多分。総合力がかなり高くないとうまくいかないゲームと思います。

 

★エルグランデ

①記憶→塔のやつ覚える。
②情報処理→盤面の情報は少ない。
③論理→いるのだが、結構崩れると思う。
④判断→かなり必要。えいやっと決めないといけない場面が多いはず。
⑤発想→ちょっと必要。
⑥読心術→読み切れるかはわからないけど、読もうとすればなんとか。

だんだん適当になってきた。競りゲーと陣取りは構成要素が似ています。基本的に盤上に情報は落ちていなくて、勝手にいろいろ考えて判断すると。競りゲー好きは陣取り好きとほぼイコールな気が...。

エスノスみたいになってくると情報処理(手札どーすんの感)と論理(手札こーしてこーして)の色が強くなってくるので競り感緩和されると思うのですが。

 

★トリックテイキング

①記憶→秘技・カウンティング!
②情報処理→情報は少なめ。
③論理→結構計算できるので、使う余地が大きい。
④判断→トリックテイキングなんてリスクの塊なので当然必要。
⑤発想→...あんまり要らないかな?
⑥読心術→手札読みに必要。

競り・陣取りと同様にも見えますが、論理がかなり入ってきます。ので、多分嫌悪感が若干減るんじゃないかと個人的には思っています。

ただ、④判断と⑥読心術をセットで苦手な人が結構多いはず。このタイプは競りゲーでは「プレイ中訳が分からず、終わっても何もわからない」となり、トリテでは「プレイ中は頑張っていたのだが、なぜ負けてしまうのか」となりそう。プレイ中頑張れる分嫌悪感がなくなりそうかな、と思っています。

 

アブストラクトゲーム

囲碁くらいしかちゃんとやったことないんですけど、これ盤面の②情報処理と③論理と④判断と⑤発想と結構いりますね。論理がもちろんゴリゴリの一番手ですが、すごいゲームですよね。難しいです。
④判断いるんですかという話がありますが、「攻めに自信あるから守りを固めてからでも崩せる!」みたいなことは価値判断としてありそうなんですよね。わかんないけど。笑

まぁ囲碁ボードゲームと比べてもちょっと違うか。

 

★クマ牧場

タイル配置と言って最初に思いついたので。いかんせんどんなゲームだったかそれほど覚えていないんですが。

①記憶→いらなかったはず。
②情報処理→盤面からどこを狙うべきかは要所で考えなくてはいけない。
③論理→ここがコンボになってこれが取れてこれが…というのは考えなくてはいけない気が。
④判断→少し必要か。論理が崩れるリスクがあると見て。しかしこのゲームはそんなに崩れないはず。
⑤発想→あまり要らなそう。そんなに意外な手がない。
⑥読心術→一応何してくるか考えるが、そんなに揺らぎのある手が打たれるでもない。

 

論理の比重が大きくて、実はアブストラクト的なのかなと思っています。タイル配置全般に言えることかはわからないですが、「あれやってこれやってこの効果でこれやってこう!!気持ちイイ!!!」みたいなところは共通してある気がします。

 

つかれた。

「チケライは競りゲーではないか」という説を提唱しかけて、体力がなくなりました。また今度。

頭がいいとは何か。

今日は「頭がいい」とは何かについて考えてみたいと思います。

まず、今日話題にする頭の良さについて。
「置かれた状況において、次に何をすべきなのか判断できる能力」
ととらえることとし、成果の出る判断ができるほど、頭がいいと考えることにします。
成果の価値判断については、客観的視点から見た場合と主観的視点から見た場合で異なると思いますが、その正義の話は別の機会ということで一つ、お願いします。

そのうえでこの能力の構成要素を考えると、以下のようになると思いました。

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まぁそりゃそうかと思うか、いや違うと思うかはわかりませんが、とりあえず僕はこの形と考えました。

①記憶
一番基礎的な能力というか、前提になる能力だと思います。記憶できる量が多く、また速いほどこの能力が高いといえます。

②情報処理
目の前の情報に対して、その意味するところを理解する能力と考えます。
この能力についても、理解できる速度と量が重要になり、理解したものを利用するためにはある程度の「①記憶」力が必要となります。

③はいったん飛ばして、④本質理解
得られた情報から、「つまりそれは何なのか?」を取り出す能力と考えます。
例えばニュースをいくつか読んで、「この業界はつまりこういう方向に進んでいる。こういう力が働いている」と考えるようなことです。「理由を考える」「共通項を探す」という表現が近いかもしれません。

戻って、③論理
②と④を行き来するための能力と、僕は解釈しています。なので②と④が両矢印です。

②→④の場合。
こういった情報が集まっているということは、そこから矛盾のないように気をつけて考えていくと、こういう本質にたどりつくはずだ。ということ。

④→②の場合。
こういう本質になるということは、それを細分化していくとこういう情報があってしかるべき、ということで情報処理の効率が上がる。ということ。

では論理を矢印の中に入れて、②情報処理↔③論理↔④本質理解とすればいいじゃないかという話になるのですが、論理をすっ飛ばして②と④を行き来する形があると考えたので、図の表記になっています。「なぜかはよくわからないけど、多分こうすればよさそう」という頭の使い方をする人がいると思っています。

⑤発想
得られた本質に基づいて、実行内容の発想をする力。これについては全く手つかずなのでよくわからないのですが、多分視野を広く持って本質を適用する類の力があると思います。

 

ここまで見てみましたが、自分の経験からすると、すべてを持っていると感じた人を、「頭がいい」と思うようです。死ぬほど少ないと思いますが、そういう人からしか納得のいく話を聞いたことがないと思います。

僕がこのように細分化して考えたのは、「足りないところを補って天才になろう!」と思っているからではないです。
「苦手な所は極力使わないところにいよう」と考えるためで、その材料として細分化する必要があると考えたからです。
僕の場合どれも大して高くはないですが、それでも相対的に②と⑤のレベルが低いことは明らかで、ここに関わる活動はあまりしないほうが良いです。範囲が大きく必要とされる情報が多い分野(国策がどうのとか)のビジョンを描くようなことは最悪です。ここに関しては議論にも参加しないほうがいいレベルだと、最近思いました。

いろんな人がいます。僕のほぼ反対の位置に、①と②が得意な人がいると思います。例えばこの人が一分野の情報をこれでもかというくらい取り入れて、もはやオタクといえる状況になっていけば、おのずとその分野の本質には気づくことになるでしょうし、社会の中でとても重要な存在になると思います。おそらく多くの人がどこかに偏りを持っていますが、それは使いようなんだろうなと思います。

 

さて、もう一つ僕は大事なことがあると思っていて、「人はそもそも触れていない情報のことは、いくら頑張っても気づかない」ということです。僕の想定していないほど、少ない情報から高次の本質を見出す人でなければ。
僕は被災地の人の気持ちは知らないし、地方で農業をすることについても知らないし、お金持ちの生活も知らないし、先天性障害の人生も知らないし、日本的大企業の仕事についても知らない。ある程度体験せねばわからないものではあります。それでも注意深く人の話を聞けば、なんとか出てくるものかもしれません。出てこないものかもしれません。
ビジネスニュースをたくさん読むとかではなく、知らない「世界」の話です。
頭がいいともてはやされている人ほど、知らない世界に無関心なように、最近思いました。もっとそのことを恐れていい。おびえていい。なんとなくそう思いました。

 

ともあれそういった中で、僕たちは判断を下さないといけない。ベストな判断を下せない能力の中で、世界のたった断片しか知らない中で。
その時に自分を知っているかどうかは、大事なことかなと思って書きました。

 

ここまでお読みいただいたのなら、本当にありがとうございます。

モダンアート攻略論

さて、はじめてのボードゲーム記事を書きます。躁うつ病?そんなの知らない。

お題は「モダンアート」

僕の最も愛するゲームであり、かのライナー・クニツィア氏による競りゲームの名作と呼ばれております。

このゲームに限らず競りゲームと呼ばれるボードゲームの数々は、「相場がわからない」「難しい」「よくわからない」「何が楽しいの?」と感じてしまう方が一定数存在しているようです。

こんなに面白いゲームであるのに、その面白さにたどり着けないのは勿体ない!

というわけで、モダンアートを題材にとり、攻略論と題して皆様にゲームの勘所を理解していただこうと思い書き始めました。なぜモダンアートかといえば、まず人気・知名度と、純粋に得意なので書きやすいからです。ルールとかは他のブログさんに任せます。どの道ルール知らない人が読んでもわからない内容だと思うので。というか読んでくださる人3人くらいしかいないと思いますし。

~モダンアート攻略論~
1.どうやってお金を稼いでいくのか
2.結局相場はいくらなの?
3.手札の使い方・考え方

【1.どうやってお金を稼いでいくのか】
さて、モダンアートというゲームはお金を一番稼いだ人の勝ちです。多くのボードゲームが勝利点を一番稼いだ人が勝ちになるのと一緒です。
そしてこういった点数を稼いでいくゲームにおいては必ず、「どの手段で稼ぐか」ということが問題となり、その手段を称して「〇〇戦略(戦術)」と呼ばれることが多いです。

モダンアートにおいてはお金を得る手段はたった二つ。
①手札の絵画をオークションで売って稼ぐ。
②オークションで絵画を買ってラウンド終了時に売って差額を稼ぐ(自絵画買い含む)。

要は、「売って稼ぐか、買って稼ぐか」
これ、プレイする時によく話されていることが多いです。「結局どっち?」みたいな。

結論から行くと、僕は売るほうに比重を置いてプレイしています。
100%それが正しいといえる論理を持っているわけじゃないのですが、一応理由があるので書きますね。絶対売り!とは思っていませんが、売り注力の方がプレイしやすいとは思います。

※用語解説
競り値→その絵画が競りによって買われる時の値段。
終値→ラウンド終了時に絵画につけられる値段。買った絵画を売却する値段。

<売りの特徴>
・金額的観点
相場については後述しますが、後半でまぁまぁの確率で7~8万の終値にはなるかな?という感じの絵画であれば競り値5万くらいはつくので、売った人の利益が高くなります。売るか買うかは置いておいて、「高値が付くカードを競りに出す」という行為自体は重要です。
あとこのゲーム、「ダブルオークション」という最強カードがあるので、これを使った場合は1回の売りが10万超えてきます。買いでは1アクション10万は取れません。
・リスク
売りは空振りのリスク以外にリスクがありません。10万で売れた瞬間10万加算です。その後のその絵画がどうなろうが知ったことではありません。
・機会
ローリスクハイリターンな売りですが、機会が少ないです。手番が回ってくるときに限られるので。同卓するプレイヤーの力量によっては、売りだけで刺しきれないこともありそうです。

<買いの特徴>
・金額的観点
相場については後述しますが、買いの収益は終値の期待額とリスクによって決定されます。リスクがある程度少ない絵画は、終値の期待額の半額以上を取られることがほとんどですので、利益としては半値以下になってしまいます。

・リスク
そのラウンドのトップ目と思って買っている絵画が紙切れになることは少ないですが、1万、2万と収益が減ってしまうことは割と多いですので、せっかくの買いが効果を生まなくなることも多いです。

・機会
リターンが低くリスクがある代わりに、機会は多いです。いつでも買えるので買いまくることができます。

・行動制約
絵画を持つ、ということは、これを無駄にしないための行動をしなくてはならなくなるということです。すなわち何かというと、自分の買った絵画と同じ色の絵画を手札から出す必要が出てくるということです。
これは大事なことです。太字ですからね。
そのつもりで出してるなら良いのですが、手札を「出させられている」という状況は非常にまずいです。自分でバシバシ同じ色を出してしまうといつしかその色は、「そのあとにもっと高く売れたはずの手札」になってしまいます。
そして累積評価が積みあがったところで他プレイヤーからその色が出されます。総枚数の多い枚数の絵画なら取引されるでしょう。それを複数人にやられ、自分の手元には出しすぎてその絵画がない、となると、まず負けます。
ぐだぐだ言ってしまいましたが、要は「手札の選択権が狭まる」=「売り札のマネジメントができなくなる」ということになるので、これがデメリットになります。

リスクやデメリットを考えたときに、「適正な評価額とリスクで、かつその買いによって意図外の行動をとらなくでもいい場合」に買いをするのが良いといえます。そのほかの場合はハイリスクローリターンと考えます。

売りやすい場合としての極端な具体例は、3ラウンド目に累積評価30,000の黄色カードが他プレイヤーから出て、手札に黄色がある場合などです。このラウンド黄色を高価で出し切りたい状況で、かつ自分が出すためにリスクが薄い。黄色なので同点勝ちがあります。こういう場合は他プレイヤーとリスク認識が少しズレるので相場程度で取れるかもしれません。

<まとめ>
・売りのリターンを最大化することが勝利への近道。
・そのうえで、買っても問題ない状況の時だけ買いの手をだす。

というところかと思います。売りは少しデメリットが大きいです。
ただし、買い控えしすぎて安値で買いプレイヤーにもってかれまくる場合、他プレイヤーの傾向が完全にそのラウンドの色を売る短期戦略に偏っている場合などは買い優先のプレイヤーが勝つこともあるので、一概にどうとも言えません。
ラウンドの流れが速い場合は買いまくった人が勝つことがある気がします。まぁ、売り機会が減るので買い収益の比重が高くなるんですよね。そういうときは臨機応変に対応していくのが大事なんですが、そこまで行くとすごい上級者な気がするんでいったん置いておきます。

ちなみに、「自分の手札から出したものを自分で買う」という行為はよほどお得な値段で取引されそうになっているのでなければ、収益機会の減少+リスクの増大と僕にはどうしても見えてしまうので、ナシかなぁと思っています。
あと、5枚目を出してラウンド終了のトリガーを引く行為も、収益機会の観点からあまりやりたくないです。

【2.結局相場はいくらなの?】
みなさん、大変です。

疲れてきました。

攻略論とはいいつつも奥の深いゲームで、他プレイヤーの動き方にもかなり依存するもんだから、ついつい例外ケースやあれもこれもが出てきてしまって、まるで体系的ではないですね。ごめんなさい。

さて、他プレイヤー依存といえば相場ですよね。相場。

いやーこれなんですけどねー。何度もプレイしてきました。このゲーム。いろんな人と。言うてね。よくわからん。

(これくらいいくかなー額×これくらいいきそうな確率)

みたいな脳内計算してる気がします。

例えば1R目の最初の緑。まぁ10,000付くかな今後の展開次第だなぁ、というところ。まず誰も10,000出しませんよね。

(10,000くらいいくかなー×1枚出てるし60%くらいかなー)

みたいな感じで6,000提示くらいがちょうどいい気がします。


ところがこの緑を7,000でラストプレイヤーが買って、2番手が同じ緑を出したとしましょう。これは13,000くらい行きますね。場に2枚あるので10,000はかなり見える。加えてラストプレイヤーがやる気満々で1枚持ってるわけですからもう一枚も期待できる。20,000、いやこのまま流れに乗って30,000もあるぞ!?という展開です。

逆に別の例でいくと、1R、2Rと1着30,000、2着20,000と乗せてきた黄色、さぁ3R最初に黄色だぁー!!となりますがいくらでしょう。

このR60,000くらいいくかなぁ。でも黄色でるかなぁ。2枚でたら優先度的にちょっと強い。
僕はネガティブなので、買い額は10,000とか。手に黄色があれば確率50%くらいありそうだから30,000出してもいいのかも。

みたいな感じでやります。

...

確率がよくわかんない!?

ですよね!?

・やる気満々の人の有無(当該カードを高く買っている)
・そのカードが手にあった場合に出したくなるか(高く売れるカードなら出したくなるが、次ラウンドもっと行きそうなら貯められる恐れがある)
・そもそもそのカード持ちがいるか(総枚数、反応や動向)
・自分に出すつもりの該当カードが残っているか

あたりで決めていますが、これは個性が出るところなのでなんとも...。
各ラウンド何枚何種類カードが出るかみたいな統計は手元にないので...。しくしく。

【3.手札の使い方・考え方】

手札を見ますね?

ダブルオークションがありますね??

こいつを高値で出してやるぜぇグヘヘ

以上です。これがこのゲームの8割を占める戦略です。

え?ダブルオークションが来なかった?

負けです。
悲しいことですね。このゲーム、めちゃくちゃ面白いゲームなんですけど、ダブルオークションが来ないと負けるんです。悲しいです。

まぁダブルオークションが来ても来なくてもやることはあまり変わりません。基本的に、手札のどれをどのタイミングで売るか、計画を立てて進めることが大切です。
初期手札に3枚ある色があったとしたら、「2枚は3万くらいで売りたいなぁ...」と思うわけです。初順でその色の空気を作ってみたり、その色が出たら誰かに買わせて相場を上げさせてみたり。

基本的に、

1Rに複数枚売って荒稼ぎできる色>その他の色

という優先順位をつけて、売って稼げる色を守るようにして他の色で小金を稼ぐ形になります。

1R、2Rはエサ撒きと売れない色の見極めをしていって、3R、4Rで決めるという形になります。前半戦はエサ撒き以外の何物でもありません。

最初の方はあまり色が減らないようにして、でも1枚しかなくてどうにもならなそうな色には見切りをつけて、という動きですかね。たくさんあるうちの1枚を使うか、もうあきらめる色を使うか、が序盤の戦いです。

すっごいわかりにくいですねすみません。

手に1枚もない色があるとちょっと怖いです。どこかの色は切らざるを得ないんですが、その色のダブルを引く場合があるのでなるべく色は残したいです。

 

...疲れました。終わります。

あと1章「駆け引き」という項目があったのですが、これは後々機会があれば追記します。

お読みいただきありがとうございました。

山口達也は「人ごと」か

明らかに人ごとじゃない。そう思ってひたすらに自分の生が怖くなる。

 

太一くんか誰かが、「彼はもう病気です」と言った。

病気というものの定義は置いておいて、彼が病気だとすると、病気の症状の尻拭いを全て自分という人格で引き受けている。

自分の人生を病気に奪われている。

逆の立場からすれば、彼の人生でもって、病気という不幸を片付けている。

つまるところ、そういうことになる。

ちなみに双極性障害にも、「異性関係にだらしなくなる」という症状があるらしい。僕にはだらしなくなる相手もいないので関係ないと思う...とか言ってると危ないのか。

僕が病気で会社に行けなければ、或いは怒り出して会社の人でも殴れば、クビという形でもって片付けられる。
それと同じで、この先もしも結婚したとして、病気の症状で浮気でもすれば、離婚をして慰謝料を取られるんだろう。

病気が何をしでかしても、責任は自分という人格に降ってくる。

 

病気の症状は、もはや自分とは呼べないと思っている。

自分の努力の届かないところにあるし、自分の人格とも遠いところにある場合も多い。

「病気をマネジメントする責任がある」という人もいるだろうが、そんなもんできたらするに決まってるんだからどんだけ想像力ないのかと思って僕は取り合わない。

 

何が言いたかったかって、

「僕が起きられず会社に行けないのと同じくらいの不可抗力でもって、山口くんは女の人を襲ったのかなぁ」ということ。

それはとても恐ろしいことだと、僕は思う。

僕がこう思うのは「自分の体が意に反して動く」ことを知っているからだと思う。

ま、酒飲まなきゃ解決だったなら山口くんが悪い気もするけど、酒をどうしても飲んじゃうみたいなのもあったのかもしれないからね。

 

だからと言って山口くんを責めるなとかそういうべき論めいたことを言いたいわけではない。

 

悲しいね、というだけの話。