コミュ障とは

コミュ障とはなんだろうか。

新しく流行り始めた言葉は、大体において正確な意味が把握できないものだ。
ネットスラングしかり、新しい業界用語しかり。
無批判的になんとなくで使うことも否定はできないが、僕は自分なりの定義を持っていたいと思う。 

さて、コミュ障を考えるためには、
適切なコミュ二ケーションの在り方から考えねばならないと思う。 

これも人によって価値観が異なるところだと思うが、
僕としては、「他者を他者として尊重できること」にあると思う。 
実生活としての僕を知る人から見れば「お前がそんなことを言うんじゃない」と言われそうだが、
なにぶん最近になってようやく当たり前のことに気付いたので、申し訳ないがご容赦いただきたい。
自戒として、ここにまとめておくことが、僕にとって意味があると思う。 

「他者を他者として尊重できること」。
基本的に自分ではない別の人の思考を知ることはできない。認識を知ることもできない。
その人の思考を変えることもできなければ、自分に対する認識や印象を変えることもできない。 

つまるところ、自分のコントロールの外にある。 
そのことを前提として、適度な距離感を持ち、想像力でもって他者の認識を想定して行うのが、適切なコミュニケーションになると思う。 

逆にコミュ障とは、その適切な距離を保てない状態を指す。 

具体的には、

①他者が何を考えているかあまりにわからなすぎて、どう話すべきか、どう態度を取るべきかわからない。
②他者は他者であるのに、強引に自分のコントロール下に置こうとする。
 
①の場合は、まだマシなんじゃないかと思う。
現れる態度としては、「話せない」「コミュニケーションが取れない」「イエスマン化」
みたいなところになる。基本的に迷惑をかけないタイプになるはずだ。 

ただし、「内弁慶」みたいな状況になると厄介だ。
現実的には①なのだが、場合によっては②の方に振れてしまうパターンは、きっとあるんじゃないか。 

基本的に想像力を働かせづらいことが根本にあるので、
「100%わからない」か「100%わかる(と思いこむ)」の二択になってしまうのだと思う。 

しかし、そういうことがないのであれば、
単に少し内向的なだけで、(周りからすれば)それほど困ったことにはならないはずだ。
(もし困ったことになるなら、それは困っている人が②のパターンなんじゃないかと思う) 

さて、②のパターンは厄介そうだ。

・他者をコントロール下に置こうとする。その仕方はさまざまだと思う。 
・ひたすら自慢をして自分を上に置こうとする。
・地位や権威などの非対称な状況を利用する。
・「何をしでかすかわからない(例えば感情の爆発や暴力など)」という印象でもって支配する。感情でもって支配する。
・論理でもって支配する。

以前の僕なんかはこのパターンだったはずだし、迷惑をかけた方にはお詫び申し上げたいところだが...。 
こういう場合は厄介だ。他人が甘んじてその支配を受け入れてくれている場合がほとんどだが、
それを続けているということは、本人は自分の傾向に気づいていないはずだ。

別にそれも個人の自由だし、
迷惑をかけてでも良い気分でいたいのであれば、
結局他人は他人なのでとめることも強要することもできないが。 

そういう態度が戦いとか、いさかいとかを生み出すように思う。 
だから僕はそういう生き方をしたくない。

今少しの想像力でもって、誰かが喜んでくれるように考えたいと思う。
それは支配されるでもするでもなく、対等なものとして。

こうして書いてみるとえらい単純なことだが、僕はすぐに忘れてしまう。
だからこうして書いておいて、戻れる場所を作っておきたい。