学問と実用

僕は勉強が好きです。

生きている世界がどんな風になっているのか、人はどんな歴史を繰り広げてきたのか、如何にして人は人と関わるのか、どのようにして人は物事を考えるのか。

それを知ろうとすることが好きです。

必要に駆られて試験を受けて、
それなりに点数を取ることもできましたが、
それとはまた別物として、勉強が好きです。

学問とは、そうやって世界を知ろうとする、不断の努力なのかなと、勝手に思っています。

学問の成果は、時に社会に還元されます。
それは科学技術としてでもあり、人間の行き過ぎを抑えるものとしてでもあります。

そうした還元機能があるからこそ、
学問は推奨され、投資をされていると捉えることもできます。

ですが、社会に還元する為に、そのモチベーションにおいて学問があるわけではないと思います。

社会の側の要請と、学問の側のモチベーションは、当たり前ですがズレています。

「もっと役に立つ研究をしてください」とか「実用のためにだけ学ぶのは、真の学問たりえない」とかよく言われているように、(少なくとも僕は)思っていますが、これはどちらの言い分にも納得できるような気がします。

「本当はかくあるべし」といって一刀両断できるものではない気がします。
学問と実用、或いは社会との間には、こうした微妙な関係があります。

逆に言えば、微妙な関係を保たなければならないのかもしれません。

学者が実業家に対し行き過ぎた批判をすることもあります。エセ科学を振りかざして、謎の健康法でお金を稼ぐ人もいます。学問が実業に出て行って、なかなか振るわないということもよくあります。政治が過剰に学問に介入することもあります。

そのたびその個人に対して、「なんであの人はあんなに自信満々なのだろう」という疑問があったのですが、全体としての微妙な関係を維持する役割を、その人たちは担っているのかなぁと、最近は思います。

そうしてみんながあれこれとやっていれば、中くらいの微妙なところに落ち着くのでしょう。
「そこはもっとこうしたほうが良いんじゃない」とたいていの場合は思うのですが、その人たちの活動自体を悪意を持って感情的に批判することは、ちょっと避けた方が良いのかなぁと思います。

僕も誰かも、共同でこの微妙な関係を担っているのだから。

今少しの優しい気持ちを持って、自分なりに思う所を出していけば、微妙な関係に少しだけ加担できるんじゃないかなと、最近は思います。

僕は自分なりの学問をして、自分なりの還元をする。
それが正しいかどうかは置いておいて、全体としてはまぁ役に立ってるんじゃないの、くらいで生きていきたいなと思います。