障害と諦め。

障害者の人生について考えていきたいと思います。

 

初めに申し上げておきたいのが、僕自身が「双極性障害」という障害の当事者ですが、かといって障害の全てを知るわけではありません。網羅的にはどうしてもなりません。

「自分の障害について理解してもらえないなぁ」と思うことは多いのですが、例を挙げれば発達障害統合失調症ADHDなどについては僕もよくわかりません。文字からだけでは想像がつかない。なので障害全般に通用する話にはならないと思います。おかしいと思われたら、ご指摘のほどをお願いします。

 

障害とは、文字通り自分の人生を生きるにあたり障害がある状態のことをいうと思います。障害があるというのは換言すると、「できないことがある」ということだと思います。

歩けなくて車いす生活をしている人にとっては、例えば普通にスポーツはできません。車いすが動きにくい場所に入ることは、援助なしでは難しいことも多いでしょう(バリアフリーじゃないとか、そもそも砂浜が深いとか)

そういった「できないこと」に対して、「諦める」ということが必要になるのが障害者の人生の一面なのだと思います。

ここまで、当たり前のことを言ったように見えますが、多分普通に生きてると、「なんかアレできなくて可哀そう。いや可哀そうとか言っちゃダメか。とにかくできる分は手助けできるようにしよう」ぐらいのことしか思わないはずで、その裏側にある数々の「諦め」という能動的行為が生まれるときに人はどう思うのか、その積み重ねでどうその人が形作られたかに思いを馳せる人はそういないと思います。少なくとも僕は自分が障害になって初めてその意味を知りました。

もちろん、この「できないこと」を減らしていくのがバリアフリーという概念なわけであり、障害者スポーツがさかんになり都市のバリアフリー化などが進み、諦める機会を少しずつ減らしています。こういうものは少しずつしか減らないので、とくに行政やらに文句を言うつもりはないです。

 

さて、話を一般論から僕個人に寄せてきます。
僕はいったい何ができなくて、何を諦めるのか。
2018年の11月ごろに、僕はいわゆる普通の会社員として雇われた3社目の会社を退職しました。その時、いろいろと諦めることを決意しました。バイトも含めると、6年で5つの仕事を転々としていたような状況です。そのすべてが「鬱からくるだるさで出勤できないため」だったため、さすがに方向性を変える必要があると感じました。

 

できないこと(何回も書いてる気がする)
・とにかく鬱期はだるくて出社すらできない。できてもめっちゃ眠い。
・躁期は気分が安定せずイライラして当たり散らす。

諦めること
①通常の会社員としての就労(週5日来ないとクビだよ的な)
②社会人並みの生活
③良好な人間関係(特に深くなる恋愛・結婚)

 

①通常の会社員としての就労(週5日来ないとクビだよ的な)

多くの双極性障害の書籍には、「寛解すれば働ける」と書いてありますが、あまりそうは思えません。正直その未来が見えないです。程度にもよるとか色々あると思いますが。あともう信頼を裏切りたくないです。それが怖くてもう無理です。実際これだけやって無理なのだから、諦めるほうが無難な判断だと思います。「100%無理だとわかった」というよりは「心が折れた」に近いです。でも自分の心が弱かったとは1ミリも思いません。

 

②収入悪化に伴う社会人並みの生活

これも①により諦めざるを得ませんね。買いたいものも変えず、趣味に使うお金も徐々に減らしていき、とにかく引きこもります。一人暮らしも解消して家賃も減り、徐々にこっちに向かっています。

 

③良好な人間関係(特に深くなる恋愛・結婚)

LaVoceボドゲ界隈の方なんかはかなり察して接してくれていますが、基本的にはいつ関係が切れてもおかしくないと認識して生きています。そう思ってないと気が狂う。最大限の努力はしていますが。躁の症状も鬱の症状も、友達として付き合うには迷惑です。
ましてや恋人や結婚などといったことは尚のこと厳しい。そもそも①で仕事を諦めた以上、僕は誰を養うこともできない。誰かに養ってもらうほど、僕は魅力的ではない。だから諦める。別にいいと思っています。

 

友人が仮に付き合ってくれたとしても、かなりの引きこもり生活を余儀なくされます。でも、少なくとも今の病状の僕はここまで諦めないとしょうがないと思います。ここが障害の実態からして妥当な諦めラインです。

 

ここから病状が多分低め安定くらいに安定させられて、細々働きつつ何とか毎日の生活はできる程度が最終ラインなのかもしれませんが、何はともあれ今現在はここまで落とす必要があります。

ラインが仮に上がってどう感じるのかはさておき。

 

ところで諦めに至る時、諦めた先の生活の受け入れがたさと、今までできたことや目標を捨てる未練があると思う。

僕の場合、自分の能力について、ある程度高くないというか使いにくいということが経験上わかったのと、最後の会社を辞めた時の絶望感があまりに酷かったことが重なって、「もう諦めてもいいかな」と思った。そういう意味ではギリギリいろんな経験ができたということかもしれない。発症がもう少し早かったら、もっと厳しかった。自分の可能性が無限に近づいてしまうから。

 

 

ところで、諦めたその人生、生きてる意味あるの?って思う。

 

まぁ、ないと思う。

 

死が怖いから生きてる以外の何者でもない。