コミュニケーション論

 

というか、コミュニケーションに起因する生きづらさについて考えてみようという話。

 

以前の「ぼくとコミュ障」では網羅的に話ができなかった部分について考えていきます。

 

 

僕の言うコミュニケーション上の生きづらさが生じる場合というのは、基本的に集団(1対1を含むが、ここで議論する多くのパターンは3人以上の集団を想定)に受け入れられない場合を指します。「生きづらいなぁ」と感じるとか、陰キャ扱いされるのかとか違いはありますが。このような状況がなぜ生じるか、要素に分けて、各要素の偏りによるコミュニケーションの形態の違いについて考えていきたいと思います。

 

①感性の違い

以前のブログにある通り、自分の考えていることと他人の考えていることが著しく一致しない場合です。アニメのサイコパス的なイメージでもいいと思います。この場合、普通に会話をしようとしても話が合わず、自然と集団から離されていきます。
「僕とコミュ障」では、「ぼくはカッコ悪い感じにズレている」と書きましたが、それがカッコ悪いかどうか自体、④容姿⑤その集団での重要能力に依存します。カッコいい感じにズレていれば、そういうものとして受け入れられます。これも別で書いた、「個性」ってやつです。

 

②擬態力
①があろうとなかろうと、ある程度この力は必要になってきます。①で感性が大衆と一致している場合ではさほど必要とされませんが、うまい会話をしようとしたらやはり必要で、「うまい会話」「うまいキャラクター」のコツを取り込んで擬態していくことが必要です。
感性がズレている場合はここを磨くしかなく、もはや人狼ゲーム状態で会話をこなす必要があると、僕は思っています。

 

③積極性
そもそも積極的に会話をしようという気分がなければコミュニケーションは成立しにくいです。しかし積極性のある場合は、「会話をするといいことがある」と思っているフシが多く、そういう場合は会話によって自信を得ている場合が多いです。主に①からその自信が来ています。②から来る場合や、もともと図太い神経を持っている人もいます。個人的に大嫌いなタイプです。

 

④容姿
女性においては特に重要視されるでしょう、容姿。もはや何をしゃべっているか等関係なくなります。容姿のいい集団から追い出されがちなんだろうと僕は思ってます。高校男子校なんでよく知らないですけど。
男性でも普通に問題にはなると思います。

 

⑤その集団での重要能力
収入でもなんでもいいですが、これがあるだけ自分のコミュニケーション上の他の要素の弱さが許されるようになるはずです。

 

 

この5つ。これの総合点をつけて、高いほど集団に溶け込みやすく、居心地がよく、生きづらくない。と思っています。

 

ちょっと見ていきましょう。

①感性の違い ×
②擬態力 △
③積極性 ×
④容姿 △→×(太りすぎ)
⑤その集団での重要能力 ×

これ今の僕です。ゴミです。
そもそもなんでこれ書いてるかっていうと、それでも擬態して何とかやってきたんですが、それも最近ダメになってきて、もう自分の話誰にも伝わらないような気がしてきたんですよね。ものすごい孤独です。
ライフステージが一人だけ下がっていって、もう話がわからないっていうのと、職場に安定していられないので、安定したコミュニケーション源がないのも原因だと思います。とにかく死にたい。

 

①感性の違い 〇
②擬態力 〇
③積極性 〇
④容姿 ×
⑤その集団での重要能力 ×

とかこういう感じになってくると、この人はもうピエロというかネタキャラになることを強いられると。この状態で②がないと詰みです。

 

とにかく欠けたところをどこかで補うわけですが、この2例の如く擬態で補っている場合が非常に不健康なんですね。かなりこういう人いますけど。擬態の上手さに大小はあると思いますが。

逆に擬態の少ないパターンの人はやっぱり自己肯定感ってやつが上がりますよね。ありのままに近い自分が受け入れられているわけだから。

入るコミュニティを狭めて自分の得意分野で勝負するとか、いろいろスコアを上げる工夫はできますが、そもそも話が伝わってない・通じ合っていない現実は曲がらないんでね。

ただ、これが現代社会特有の問題というか生きづらさかどうかは微妙なところで、むしろ個性という選択肢が出来たくらいの面しかないんじゃないかと、今の感覚的には思います。

 

ところで、職場のキモいおじさんっていますけど、あれは①があって②がないパターンで、ジェネレーションギャップに対応できないタイプの奴だと思っています。
要は世代が離れることによって準ずるべき大衆感覚が変わるんですね。そこに擬態する訓練がなされていないと。

 

大変ですね、なんか。