負け犬の遠吠え

あー、書きます。本当は書いちゃいけないと思うんですが、書きます。

なんで書いちゃいけないかっていうと、これは僕の負け犬の遠吠えであり、感情的なものだからなのです。ゆえに、正しさについての考察が甘い可能性が極めて高い。嫌われる可能性すらある。

が、そもそも嫌われることを恐れないようにと最近思っているので、多少クズで無駄に毒舌な自分の本性のままに書こうかなと思っています。

 

 

最近のブログだと、

・頭がいいってどういうことか。

・コミュニケーションの話。

・個性の話。

 

を通じて自己分析をしている記事が多いと思います。結果自分は、

 

・指向性のないセンス的な所で生きていて、割と頭は回るが情報処理量が足りず、解決の発想にも至らない。

・そもそもなんかズレていて、擬態でなんとかしている。

・指向性がないので個性なんてものはない。

 

という生き物であることが、30年の歳月をかけてわかりました。

しかし30年がかかったとしてもようやく僕は、ここまでぶつかり続けた壁の正体を特定したのです。

壁とはすなわち、社会の要求してくる能力のことを言うでしょう。その見取り図を作ったうえで、改めて社会や経済のことを見てみたときに、思うことがあります。

 

コミュニケーション能力の比重が高い。

 

BtoBであれBtoCであれ、大して違いのないものを売り歩く、あるいは小手先で変えていく、という作業が、いくら何でも世の中に多すぎやしないか。どっちの企業がやっても大して変わらなくて、ご機嫌取りの人の気持ちや資料やなんや、挙句は値下げと。

 

それで賃金上がるように経済はできているんでしたっけ。

 

もちろん新しいものを作った企業もあると思いますし、業務上どうしてもコミュニケーションの部分が勝負になる企業もあります。例外はあると思います。

 

「調べてみました!」っていうタイプのクソサイトの話とかさ、吉本芸人をMIPの声優にするとかさ、どれも誰かを半分騙したり機嫌とったりして、役に立たないもん売りつけているわけじゃないですか。

そのちょっとマシなやつがその辺にめちゃくちゃ溢れてる気がして。

 

この辺の対極にくる(来ているもんだと信じている)研究の分野があります。
うまく予算がこないとか、いろいろ大変そうな話は聞きます。
「なんの役に立つんだ」とコミュニケーションの文脈で語られることもあるでしょう。

研究自体は、情報の収集と統合みたいなプロセスで、正しい根拠だとか新しいものだとかを探しているところでしょうが、そういうものが社会に出るとなんかもうほぼ要らなくなるんだな。と思ったのがむなしいところです。

 

いや、なんだろな。もうちょっと面白いと思ってた。