読書感想文『ウィリアム・ジェイムズのことば』

どうもめんペンです。

今日は珍しく読書感想文をやろうと思っています。

先輩が出した本を読ませていただいたので、感想をば。

ウィリアム・ジェイムズという、アメリカの心理・哲学者のについて本です。

 

感想文に入る前に、読む前まで僕が考えていたことをサラッと。

・人の能力というものは生得的な部分と経験的な部分で構成されており、社会との関連によって人には個性が出てくる。

・その個性が生かされるような場合と、社会に迎合せざるを得ずに流される場合がある。

・僕のそもそもの興味は、「人をどうやって動かせるか」にあり、その法則を集めたいと思っている。これはコミュ障の卑屈さから生まれているような気がする。この興味については半ばあきらめている。

大きくそういう前提で読んでいます。

 

 

さてさて、書物を手に取って前書きを読むんですが、哲学者だと思っていたジェイムズが心理学者でもあると知り驚愕します。

そして、「ちょっとイヤだな」と思います。

僕の中での心理学は、勝手な方法で意識や感情の問題を切り取って、一向に真実を教えてくれないもの、という認識だったので。結構な苦手意識をもって臨みました。

 

まぁそれは置いておいて、主要な気になった部分に触れていきたいと思います。

 

純粋経験

言葉としては他の人の哲学でも出てきた気がする。けど詳しく読むのは初めて。
「直接的な生の流れ」とのことで、詳しく書くと本の内容たくさん書かなきゃいけないんですけど、とりあえずある感覚を持ったことだけ記載しておきます。

 

量子論」に言及してるスピリチュアルに似てる。

 

ちなみに僕はスピリチュアル別に嫌いじゃないし、実際そういうこともあるのかもと思ってる立場です。以前気になって(やりたいとかよりも論理が)見てみたんですが、記述が近いですよね。掴もうとすると認識できなくなるような、そんな波があるという感覚が。あっちではたしか「我々が観測すると収束するので波じゃない」みたいな感じだったので、そこ違いますけど。結局自分の意識が個人から見た世界を変えていく、というような感じも似ています。

似てたからなんだって話ですけど、ある程度類似した思想が別のところで出ているのは偶然じゃないだろうし、何か真理性がありますよね。

まぁ類似とか出すならなんかもっと他にいるだろ的な話ありますけどね。哲学に関しては比較って面白いなと思います。アメリカ経済と日本経済の比較とかは苦手だけど。

ちなみに量子論を学ぶ本も読みましたが挫折しました。

 

 

②感情の起源説

・末端起源説→感情の起源は脳ではなく身体である(泣くから悲しい)
・中枢起源説→感情の起源は身体ではなく脳である(悲しいから泣く)
・二要因説→感情の生起には生理的喚起と、それに対する認知的解釈の二つが必要

の3つの感情起源説が紹介され、ジェイムズは末端起源説をとります。この本の帯にも、「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」と書いてあります。

だがしかし双極性障害の患者としてはこんなものに納得するわけにはいきません。

「もしわれわれの自然に起こる快活さが失われた場合に、意識的な努力によって快活な気分に到達するための最も優れた方法は、快活に座り、快活にあたりを眺め、あたかも快活な気分がすでに心にあふれているかのようにふるまったり語ったりするということなのです」(ことば27より)

とありますが、僕のTLにこれ流したら炎上までありますよ。僕にこれ言ったらめちゃくちゃ怒りますよ。死にたくない態度取れば希死念慮消えますかって話でしょ。

病気の場合は別ってことはない。むしろ中枢の介在説が強固になるはず。

机上の空論で人の意識を切り分けて遊んでいるとしか僕には思えない。

 

閑話休題
漱石の話そんなに要るのかなぁ。何か権威付けのように感じてしまいました。穿った見方かもしれないですけど。

 

 

③教育と心理学

とりあえず「心理学は教育をうまくやる法則を教えてくれるものじゃないよ」ということが書かれます。前提でも書いたように、それは僕でもわかってるんですが、じゃあ何してるんですか...?というのが僕にはよくわからなかったです。

それはまぁ本論からは外れるのでどうでも良いとして。

教育論自体は、自分でもともと考えていたものと相違ないな、と思っていました。個別具体的な生徒に合わせ、その生徒の内面を想像し、それに応じた教育があるべきだ、とざっくりまとめるとそういう風に取りました。僕もそう思います。

「いまこいつの頭の中はどうなっているのか?」がものを教えたり説明したりするのに最も重要な側面であり、その能力が同時に他者の自分と異なった指向性を理解するのにつながることもその通りだと思います。

ストレングスファインダーで「個別化」という項目が自分に出ましたが、これがそのままここの能力に当たると思います。

そこまで難しく言うか...と思いましたが、正確性を期するなら確かにこうなるか、と思いました。

 

しかし、内発的な競争性を「本能」とし、すべての人間に備わるとするのはやや早計かとは思いました。

そこは共通であるとするんだ...みたいな。

 

 

④道徳は想像力を要求する。

教育の話からつながって、当然教育対象でない「他者」に対しても、その人それぞれに「個別化」された考え方をして当たらなければならず、尊重しなければならないことが言われます。この点については同意しますが、問題が二つあります。

 

・そのような行為の総体として、社会が成立するのか?

・想像力の担う部分が多すぎないか?

 

どちらも根本的な問題だと思いますが、後者が最近話題になったので気になりました。

「優しさって何でしょう」という質問を最近されました。

「相手のためを思って何かをする行動が、それによる相手の利益によって跳ね返ってきて優しさと認められる」などと僕は言っています。

優しさは結果を伴ってこそと思います。特にこういう障害になっていると。

かたや一方、人は体験したことについてしか語りえない、と僕は思っています。

体験を増やすこと、類推の練習をすることでしか、語りえること、想像しうることは増えないのです。

これが非常に困難であり、この道徳の実践が「戦い」というように言われています。

この一連の考察は支持します。そして実践をしていくでしょう。